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私は誰?

すべてが始まった時、私が母の胎内から出てきた時、「男の子だ!」と言われました。自分でも、自分は男の子だと言っていました。
しかし、大きくなるにつれ、これを疑問視し始めました。母国である日本を去り、オーストラリアの大学に18歳の時に行きました。(向こうでお酒が飲める歳です。)
ちなみに、トキポナでは日本のことをma Nijonと呼ぶより、ma Niponと呼ぶほうが好きです。
両親から離れて学生寮で暮らすのは新しい経験でした。自分の新しい面を発見しました。自分のことをたくさん考えました。お小遣いで女装を始めました。かくかくしかじか、結論として、内面的には、私は女性だと結論付けました。
私には名前がたくさんある。

両親に授かった日本語の名前は「春希」です。立春の次の日に生まれた、母の希望だからです。偶然、この名前は男性にも女性にもつけられます。
かつて自分で選んだ英語の名前は『Harry』(ハリー)でした。ハリー・ポッターのように、小さい頃からメガネっ子でした。しかし、女性であることを自覚してからは、使いたくなくなりました。
それで新しく選んだ英語の女性の名前は『Haley』(ヘイリー)でした。日本語の名前と語呂が近いし、バンド「パラモア」の歌手、ヘイリー・ウィリアムズと同じ名前です。(綴りはHayley Williamsと、Yが一つ多いですが。)
エスペラントでも、その『Haley』を音写して『Hejli』と名乗っています。トキポナでも同じく、『jan Eli』(jan [e li .])と名乗っています。
春希、ヘイリー、ヤン・エリ。言葉は違えど、すべて【私】を意味します。
言語に深い興味がある。

日本語と英語は子供の頃から話していました。中学校からスペイン語を勉強し始め、インターネットでエスペラントを勉強しました。今でも全部覚えています。
トキポナと出会ったのは、LangFocusというYouTubeチャンネルででした。今ではそこそこ流暢に使えます。
・・・しかし、tonsiと言う単語を初めて知ったのは、しばらく後になってからでした。私はこの単語の使い方がわかりません。このエッセイを読み進めるにつれて、あなたも使い方に疑問を持つでしょう。
トキポナでは、文脈が超大事。

トキポナは、たったの137語しか語彙がありません。(正確な数については諸説あり。)つまり、一語一語の意味がすごく広く、話者はわかりやすくこの意味を狭めないといけません。
言葉がどうして有用かと言うと、違う人達に、同じアイデアを伝えることができるからです。誰かが考え出したり創造したりしたら、言葉を使ってその人の頭の中から他の人の頭の中にその事柄、感情、欲求を転送できるんです。

トキポナの単語の意味は、他の言語に見られないぐらい広いです。
トキポナを聞いている人は、話者の意図を正しくつかめているか、常に神経質になっています。トキポナで発言している人は、自分の意図を正しく伝えられているか、常に神経質になっています。
個人的には、これはトキポナの致命的な欠陥だと思います。それと同時に、その欠陥をどう回避するかが、とても知的好奇心をくすぐるパズルだとも思います。
好きな「動物」は何?

トキポナ以外の言語では、この質問は簡単にできます。英語では、“What’s your favorite animal?”。ロシア語では、«Какое ваше любимое животное?»。エスペラントでは、«Kiu estas via plej ŝatata besto?»。でも、トキポナでは、好きな「soweli」は尋ねられても、多くの動物がのけ者にされます。
※soweliは「陸上哺乳類」とよく訳されますが、毛が生えていない動物がsoweliなのかは意見が割れます。
トキポナだけではこの質問をするのも、この質問に答えるのも、不可能です。もし好きな動物が鳥(waso)だったら? 爬虫類や両生類(akesi)だったら? 虫(pipi)だったら? 魚(kala)だったら? soweliでも、どの種類なのかはトキポナで説明できるのか?
ゾウはsoweliなんでしょうか? 陸上哺乳類ではありますが、毛は生えていません。長い鼻を手に取って、大きな耳に語りかけて答えてください。ゾウはsoweliなんですか?

Tuki Tiki(トキポナを更に簡略化した人工言語)では、人間を含め、生きとし生けるものすべては「ka」と呼ばれます。トキポナでもこの単語を使う人もいますが、理解される可能性は低いでしょう。
挿絵が入った動物図鑑を使うしか手がないでしょう。「この中で、一番好きな【もの】(ijo) はどれ?」
文脈がなければ、トキポナではこの質問はできません。
壊れた単語、tonsi。

tonsiと言う単語の意味を明らかにするには、常にトキポナ以外の補助が必要です。ほぼ確実に、その補助は英語の単語によってされます。
『トキポナ辞書』(ku) では、主にこの四つの定義が載っています。
一つ目はnonbinary「ノンバイナリー、Xジェンダー」。これは誰も疑問に持ちません。tonsiを使う人はすべてこの定義を受容します。
二つ目はgender non-conforming「性別逸脱者、性別の枠にとらわれない男性・女性」。早速tonsiにほころびが見えてきました。同じ一つの単語が、男性でも女性でもないと主張する人たちと、男性か女性であると主張する人たちとひっくるめています。少なくとも片方はなかったことにされているという感覚を覚えるでしょう。
三つ目はintersex「両性具有など、体の性が男性だけでも女性だけでもない人」。同じ理由で分断が見えます。例えば、オリンピックの陸上選手、キャスター・セメンヤは、体の性が完全に女性ではないと言われているものの、「違う種類の女性だ」と主張していて、インターセックスというレッテル自体を拒絶します。
四つ目はtransgender「トランスジェンダー、生まれ持った体の性と、精神的な心の性が一致しない人」。ただし、この意味は「比較的あまり受容されていない」と言われています。私も受容しません。この「第四tonsi」を使う人に、私はmeli tonsiと呼ばれますが、完全に女性の私の心は、他の女性からtonsiとして引き離されることを拒絶します。

どうして私達、違いがありすぎる四種類のセクマイが、同じレッテルにひっくるめられなければならないのでしょうか?
さらに、このせいで、誰かがtonsiと言っていてもどの意味のtonsiを意味するのかがtoki pona tasoでは理解できません!
※toki pona tasoとは、「トキポナだけ」を意味する
他の単語では、少なくとも頭の中に概念が浮かびます。話者の意図と違うこともありますし、話者の意図より広義すぎるかもしれません。しかし、何かが頭に浮かびます。
しかしtonsiではさっぱりです。ノンバイナリーの話? 性別逸脱者の話? インターセックスの話? それともトランスジェンダーの話? 全部についての話なんて、有用性が底が知れてるもん!
無性別方言では直せない。

なのでトキポナ話者はしばしば「無性別方言」(gendern’t nasin) を取り入れて性別を表す単語を使わないようにしますが、それは根本的解決ではなく、問題提起を不可能にする自己検閲です。
※nasinは「道」や「方法」を意味しますが、ここでは「トキポナの方言」を意味します。
トキポナ話者の大多数はトランスジェンダーである私をtonsiと呼び続けるでしょう。もし無性別方言を採用するなら、どうして心が痛いのかも説明できません。私が女性だと主張することも、性別違和の苦しみを打ち明けることもできません。この方言は、根本的な問題を解決せず、当事者の苦しみを受け付けないだけです。
歴史上のすべての社会に、男性と女性という枠組みがあります。無性別方言は、意味もなく人間という経験から大きな部分をそぎ取り、その部分の表現を忌み嫌うだけです。
トランス女性は女性じゃなかったの?

掲示板サイトRedditで、トランス男性やトランス女性の愚痴や問題提起が見えます。トキポナ話者が自分たちを男性・女性と見てくれないと。自分のアイデンティティーから「tonsi」という言葉の暴力で引き離されていると。私も同じ感覚を覚えます。
「男女二元論」と言う言葉を知っていますよね? 個人的には、トランス男性は男性で、トランス女性は女性と信じています。
注意点として、「二元的な」トランスジェンダーの人も、tonsiと自称することが見えるということです。個人的には信じられませんが、二元的なトランスジェンダーの人でも、tonsiをミスジェンダリングと捉えない人もいるようです。
もし、魔法の力でtonsiの意味を「ノンバイナリー・Xジェンダー」だけにできたら、私ならすぐそうするでしょう。しかし、tonsiの広義さを問題と捉えていない二元的なトランスジェンダーの人にも止められるようです。

それと、著名なトキポナコミュニティーメンバーのLipamanka (u/misterlipman) からとても悪い印象を受けました。「トランスジェンダーの人ならば、すべて男女二元論に当てはまらない」と言うのです。
自分の性別の正当さを踏みにじるような発言に感じます。「トランス女性は女性」はどうしたの? 生まれつきの性器のせいだけで、女性失格なの?
その論争の反対側で、ノンバイナリーの人が「mije/meli tonsi」(tonsiな男/女)や「tonsi mije/meli」(男性/女性的なtonsi)と自称するのも見ます。私には矛盾にしか聞こえません。ノンバイナリー(性別が男と女の二元的ではない)なのにバイナリー(性別が男か女の二元的)なの?
ちょっと想像の話をしましょう。もし「tonsi」を名詞として使えば「ノンバイナリー」、形容詞として使えば「トランスジェンダー」だったら、理解できるでしょう。「tonsi meli」は女性的なノンバイナリー、「meli tonsi」はトランスジェンダーの女性というように。
しかし、実世界ではtonsiの用法はこんなにきっぱり分かれているわけではありません。だから、私はtonsiの使い方がわかりません。で、あなたはわかると自信がありますか?
この問題はどうやって解決すべき?

個人的見解としては、「ノンバイナリーの性別」と言う意味の単語よりも、「性別」と言う意味の単語があれば、比べ物にならないほど有用になります。その単語さえあれば、また「ノンバイナリー」も表現できます。
その単語が何になるべきかはわからないので、仮にlipasaと呼びましょう。
※lipasaはトキポナの流暢度を測るアンケートで造語された「存在しない単語」です。
誰かの性別を聞くのは「lipasa sina li seme?」で済みます。答えるのも同じ様に簡単です。「mi mije.」(私は男性。)「mi meli.」(私は女性。)もしくは、「mi tonsi.」(私はノンバイナリー、願わくばlipasaの文脈でこの意味に限定されます。)
そして、最初は「tonsi」に愛着を持った人々を怒らせるかもしれませんが、それでも言わせてください。「性別」と言う単語があれば、「tonsi」さえ要りません。

話者は自分の「lipasa」を「mije」(男性)、「meli」(女性)、もしくは「ante」(違う、別)と形容できます。それに、ノンバイナリーの人は性別二元制から逸脱する、それを活動的に壊すことに自意識を見出していることを見るので、自分の「lipasa」を「nasa」(変、普通じゃない)と言うだろうとも思われます。もちろん、nasaはそれ自体がネガティブな単語ではないので。
「nasaジェンダー」の先例として、「トキポナだけで自分の性別を形容してみてください」というもう一つのRedditスレッドがあります。いくつかの返答は「nasa」を何らかの方法で使っていました。ノンバイナリーの人が(全員ではないが)自分の性別をnasaと言う前例はすでにあります。
なので、固く信じています。二元的な性別のトキポナ話者も、ノンバイナリーのトキポナ話者も、「性別」と言う意味の単語があれば恩恵を受けられると。たとえその結果「tonsi」がなくなっても。
少なくとも、私をtonsiと呼ばないでください。
結論

私は「トキポナ民」ではありません。トキポナグループやサーバーからは軒並みBANされています。著名なトキポナ民からは、すでに「論争を引き起こす、救いようのないヘイト野郎」というレッテルを貼られていて、心の叫びに聞く耳を持たないということに悲しさを覚えます。
しかし、自分を踏みにじると感じるたった一語のせいで言語全体を責める気はありません。トキポナでも、自分の性別違和やわかってくれない苦しみを簡潔に表現したいんです。さらに、ノンバイナリーの人も、二元的なトランスジェンダーの人と異なる自分の悩みや苦しみを表現できるようになってほしいんです。
これまで私の意見を聞いていただけたら、感謝感激です。ご精読ありがとうございました!